2009年11月10日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 3031 count

文化村の正体は一種の住宅分譲地!

Written By: 川俣 晶連絡先

 桜上水Confidentialさんよりメッセージを頂きました。

おはようございます

昭和5年だと、「市場」最寄り駅は「松原」ですね

20年ほど前、調布の魚屋さん(残念ながらお亡くなりに)に、戦前は早朝から甲州街道を荷車を曳いて魚の仕入れに出かけたもので、街道には荷車が列をなしていとお話しをうかがったことがあります。当時は、築地だと思っていたのですけれど、松原だったのでしょう。

 確かにその通りだと思います。市場の件はもっと掘り下げる余地があると思っています。位置は当時の「松原」よりも「下高井戸」寄りです。

上北沢文化村の正体は、上北沢桜並木と時を同じくして、上北沢駅の北側と、今の桜上水5丁目も、同じく宅地分譲が行われたと記録がありまして、上北沢駅北側は文化村と呼ばれていたそうです。桜並木と桜上水5丁目は、自分の中で場所が特定できていましたが(当たり前ですね)、これで、上北沢北側文化村の位置も得心できました。

ありがとうございます。

 なるほど!

最近、京王線沿線街づくり通信第四号を拝見したところ、昭和25-28年頃下高井戸駅周辺という絵が載っていました

http://www.city.setagaya.tokyo.jp/030/pdf/23961_1.pdf

残念ながら、よく見えないのですが、現在のれんが通りが、バス通り商店街となっています。あんな細い道をバスが走ったのでしょうか?

 残念ながらその号が見ていないandそのURLも無効らしいので、何とも言えません。

 ただ、本当にバスが通ったバス通りなら興味深い事実です。

下高井戸周辺史雑記